愛工舎の創立者早川鉦太郎は明治21年8月1日名古屋生まれ。、明治37年姉婿佐藤展成の経営する佐藤時計製造所に入り、ここで時計製造技術を習得し、昭和6年乞われて掛時計工場、敏工舎の創立に関わりました。 経営困難から昭和8年に解散したため、昭和9年東区赤萩町に愛工舎時計製造所を創設して独立したそうです。 過去に2つの工場の閉鎖を目の当たりにしているため堅実な発展に努め昭和16年には東区水筒先町4丁目に分工場を設置して、 時計の製造を此処に移して従来の工場は軍需品の専門工場として運営するようになりました。
戦後は分工場の時計製造工場が被災を免れたので比較的早く復興する事が出来、 昭和26年には改組して愛工舎時計製造株式会社とし発展しました。
AIKOSYAと文字盤に刻まれたこの柱時計、残念ながら蓋部分の飾りが半分欠損していますが、使用には全く差し支えなく、軽く優しい音色で今も時を刻み続けています。
高さ…約62cm 幅…約27cm 奥行…約12cmほど。
改組して愛工舎時計製造株式会社とし発展した以降、昭和中期にかけてのお品だと思われます。
優しい蔦のような模様がとても素敵です。